櫻井神社

拝殿は鎌倉時代の建築。市内で唯一の国宝 二重虹梁蟇股式の架構法と割拝殿形式です。

櫻井神社

堺市南区片蔵645
TEL:072-297-0043
FAX:072-297-0143
定休日:年中無休
営業時間:拝観自由
入場料:拝観無料
アクセス:南海バス「桜井神社前バス停」下車
駐車場:無料(乗用車30台)

上神谷の八幡さんと呼ばれ、拝殿は堺市内で唯一の国宝に指定されている貴重な建物です。鎌倉時代前期の建築で二重虹梁蟇股式といわれる古い形式の架構法で、内部中央を土間の馬道とする割拝殿(わりはいでん)になっています。外壁の白壁と朱色の木部との鮮やかなコントラストが美しく、簡素にして明快な木組みに時代を感じることができます。
また、神社には大阪府指定有形文化財として神像と石燈籠が保存されているとともに、毎年10月の5日に近い日曜日に奉納される「上神谷のこおどり」は国選択・府無形文化財となっています。

櫻井神社の創立は悠遠の時代

社記および諸文献によると、古代この地の櫻井朝臣一族が祖先武内宿禰命を祀ったとされ、6世紀末八幡宮を合祀して上神谷(にわだに)八幡宮とも称されました。和泉国大鳥郡上神郷の総鎮守として、醍醐天皇延喜の制には官弊社となり歴代皇室に崇敬され荘田の寄進を受けました。
中世、武家にも尊崇され上神城主上神常儀が社殿を造営。小谷城主小谷甚八郎政種、南朝方の上神・和田・櫻井・木寺などの武将が御供田を献納。神宮寺建立以来、神仏習合の霊場として隆盛を極めました。
信長の紀伊根来寺征伐の兵火で神宝古記録を焼失、神領も没収され社頭は一時荒廃。1588年に加藤主計守(かずえのかみ)清正の発願で阿弥陀堂が再建、その後神門、鐘楼と宝蔵が再建されました。
1868年の神仏分離で仏像仏具経巻などは片蔵の金福寺に移管、阿弥陀堂は別所の法華寺に譲渡され、鐘楼は神輿庫に改造され現存しています。

明治5年に郷社、41年から43年には旧上神谷村内の國神社ほか九社を合併。大正6年に拝殿が特別保護建造物に指定されました。昭和3年に解体修理、6年には中門と透塀を新築。16年に社務所の移転改築と境内の整備が完成し、翌17年には府社に昇格しました。


鎌倉期の拝殿は市内唯一の国宝

拝殿は昭和28年に国宝建造物に指定を受けた市内唯一の国宝です。鎌倉時代前期の建築で、現存する拝殿建築の中でも最も古いもののうちのひとつ。木造切妻造・本瓦葺で屋根の勾配が緩く、軒廻りは円柱の上に舟肘木を置き桁を受けています。

妻飾は梁間いっぱいに大虹梁(こうりょう)を架けて、2個の蟇股(かえるまた)を置き、その上に虹梁を架け蟇股を置いて棟木を受ける「二重虹梁蟇股式」の古い構築法です。蟇股の形が簡単な板状のもので、梁の両端に彫刻がないなど鎌倉時代の建物の特徴といえます。

内部中央に通り抜けの通路(馬道)を持つ割拝殿形式の建物。左右の間は板張の桟唐戸が入っていますが、祭礼時には通路両脇の蔀戸(しとみど)という建具を降ろして床にできるように工夫されています。

外壁の白壁と朱色の木部との鮮やかなコントラストが美しく、簡素にして明快な鎌倉建築の手法が見られ、特に妻飾の二重虹梁蟇股は力強く勢いがあります。


石燈籠をはじめ宝物・古文書などが豊富

大阪府指定有形文化財「國神社石燈籠」は、元は鉢ヶ峯寺の法道寺に隣接していた國神社にあったものです。「鉢峯山長福寺五所権現、応永19年3月17日勧進良秀」の銘文があり、文面から応永19年(1412年)長福寺(現法道寺)の良秀という僧が費用を集めて五所権現(國神社の別名)に造立寄進した燈籠であったことがわかります。
松平定信の「集古十種」にもある府下有数の古灯で、シンプルな中にも重厚さのある中世石燈籠の代表として大変貴重なものです。

宝物は鎌倉・室町時代のものが多く、中でも大阪府の指定有形文化財「國神社神像三躯」は補修で鎌倉初期の姿に甦りました。 (一般見学不可)

古文書の中で市指定有形文化財「中村結鎮御頭次第(けつちんおんとおしだい)」二巻は、1351年より明治5年までの520年間、年々書き継いだ宮座記録で南北朝時代の公武勢力の興廃や社会秩序などを知ることができる類例のない貴重な史料です。(堺市博物館寄託)


毎年10月の5日に近い日曜日に奉納される「上神谷のこおどり」

国選択・大阪府指定無形民俗文化財「上神谷のこおどり」は、古来鉢ヶ峯寺の氏子が國神社に奉納してきた神事舞踊。旧暦8月27日の祭りに若衆によって演じられていたもので、雨乞い・雨礼踊りから秋祭りの芸能としても毎年行われていたようです。
音頭取の歌に合わせて、「ひめこ」を背負った赤黒の鬼神、三尺棒を持った赤黒の天狗四人を中心に、一文字笠紋付に締太鼓を持った太鼓打八人と鐘打、扇振が新発知(しんぼち)を先頭に外踊、鐘と太鼓の囃子で踊る古典的な郷土芸能です。

國神社が明治43年櫻井神社に合祀されて以来、櫻井神社の秋祭りで毎年10月の5日に近い日曜日の例祭に奉納されています。
現在、堺こおどり保存会によって地域の小中学生への伝承活動が積極的に行われ伝統あるこおどりの保存が図られています。


その他にも見どころがいっぱい

堺市指定保存樹木にも指定されているモミの木など、境内には多くの樹木が茂り静寂の中に荘厳さが感じられます。

また、絵馬堂には巨大な赤鬼・黒鬼の二つのお面が掲げられています。これは「こおどり」が昭和44年に堺市民会館で行われたNHK「ふるさとの歌まつり」に出演した時に、NHKから奉納されたものです。

境内西側の妙見川に架かる宮橋端にある、御祭神に縁故が深く和泉名所図絵にも記載の古跡「櫻井」。かつては清水湧出により枯渇することがなく櫻井井戸と称されましたが、明治時代の河川氾濫で埋没、その後古跡として整備されましたが井戸は現存しません。

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