堺市堺区南旅篭町東3-1-2
TEL:072-232-1654
拝観時間:9時~16時
拝観料:大人400円・中人300円・小人200円
駐車場:有り(30台)
交通:阪堺線御陵前駅から徒歩5分
戦国武将の三好長慶が父・元長の菩提を弔うため、弘治3年(1557)に大林宗套を開山として建立した南宗寺。臨済宗大徳寺派の寺院で、創建当時は壮大な寺院を造営し、著名な禅僧が来住して自由貿易都市として栄えた堺の町衆文化の発展に寄与しました。中でも、千利休の師である武野紹鷗は、大林宗套に参禅して「茶禅一味」の言葉をもらいわび茶を深め、千利休も第二世笑嶺和尚に参禅して禅に開眼。日常の俗世を離れて禅の修行に入ったような茶の湯の生活や、知識ではなく体で会得していく茶の湯の方法を確立し、茶人としての素養を深めました。
その南宗寺は、今も昔ながらの禅宗寺院の面影が色濃く残り、周囲を土塀で囲まれた静かな境内に佇めば、結界を超え仏の世界へ踏み入ったような感覚に。境内には千利休ごのみの茶室・実相庵が復元されており、利休忌にちなんだ茶会も催されます。
境内に静かに佇む国指定の重要文化財、甘露門(山門)。1647年に第十三世住職により造営された、禅宗様式と和様式が折衷した建物。
落ち着いた風情を漂わせる国の名勝指定、方丈枯山水庭園。
南宗寺の名物は、国の名勝庭園に指定されている枯山水庭園。方丈の縁側に座し、古田織部ごのみの前庭を眺めれば、シンプルながら奥深いわびさびの世界がやさしく語りかけてきます。その方丈庭横には地中に設置した水琴窟の音を竹筒で聞けるコーナーもあり、日本人の繊細な感性に響きかけるしつらえが。時の移り変わりによって変化する寺の風情に心癒されます。
南宗寺は大坂夏の陣でことごとく焼失しましたが、その再興に尽力したのが、当時の沢庵和尚。俗論に沢庵漬けの考案者と言われる和尚です。沢庵和尚が現在地に再建を果たした後、17世紀中頃には国の重要文化財に指定されている仏殿、甘露門(山門)、唐門が整備されました。その仏殿の天井一面には、どこから見ても睨んでいるように見えることからその名の付いた「八方睨みの龍」が描かれ、迫力たっぷり。権力者や寺院の御用絵師として隆盛を誇った狩野信政筆で、昼なお薄暗い仏殿の中にはまさに龍が棲んでいるかのような錯覚に陥ります。
1652年建立の仏殿。国指定の重要文化財。
仏殿の天井に描かれた迫力ある八方睨みの龍の絵。どこから見ても睨まれる。
「大坂夏の陣の時、真田幸村の奇襲を受けて輿にのって逃げ出した家康。しかし大坂方の猛将・後藤又兵衛は怪しいと睨んで槍でついた。家康はそのまま南宗寺で絶命。しかし死去はふせられ、家康の影武者が活躍。家康の遺体はひそかに日光東照宮へ運ばれ葬られたという」こんな伝説がまことしやかにささやかれる南宗寺。二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が相次いで寺を参詣したのも、実は家康の死が起因しているとの説が伝えられています。
それを裏付けるように、境内には徳川家康の墓があり、瓦には徳川家の「葵」の紋が。歴史の意外なミステリーに興味をそそられます。このほか境内には、三好家一門の墓、千家一門の碑、武野紹鷗の碑など著名人の墓が多くあり、堺の豪商や文化人、武将に愛された寺の風格を感じます。
徳川家康の墓。南宗寺に残る歴史のミステリー。
達磨の絵を背景に仏の世界、茶の心を語る南宗寺老師 田島碩應さん。
仏教的に見て中世の堺は非常に重要です。京都でも、奈良でも、鎌倉でもない、世界的にみてハイレベルな仏教の到達点がここにあった。堺の人々は自分たちの生活や生き方自体が仏に通じると考え、お茶やお能、歌などを通して仏教を表現しようとしました。だから当時は商人も坊さんも文化的な水準がとても高い。そしてその一つの到達点が茶道です。ここ南宗寺は茶道を大成した武野紹鷗や千利休、津田宗及といった先人たちの精神文化が残る寺です。建築の芸術性やお茶のお点前といったテクニックだけでは、茶道や仏教の本当に肝心な所はとらえられません。南宗寺の空間全体で当時の堺の人々の文化を支えた精神やこころを感じ取ってください。
※掲載情報は、取材時点のものです。現在の情報については、直接お問い合わせ下さい。
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