古くは、遠方へ出かける際、その方向が良くないときは、一度別方向に向かってから出かける風習「
方角の厄を取り除き、神様のご加護を受けられるとして親しまれてきたのが「どの方角にも属さない」
摂津・河内・和泉の3国の国境である
後鳥羽天皇など歴代天皇や、平清盛、徳川家康、弘法大師空海など歴史上の人物も祈願したと伝わり、科学万能の現代も方角に関する災いを防ぐ厄除け神社として、新築・転居などにあたって多くの参拝客が訪れます。
「ほうちがいさん」とも呼ばれ親しまれている
「三国山 こずえに住まふ むささびの 鳥まつがごと われ待ち痩せむ」と記された門前の万葉歌碑
創建は古く、神話の時代までさかのぼります。紀元前90年に、
「粽祭」は、年間を通して授与する粽をご神前に奉る珍しい神事として、毎年5月31日に執り行われます。粽で思い浮かぶのが端午の節句。これは中国の故事に由来し邪気除けとしていただくものですが、方違神社の粽は、お守りとしての役割を果たします。神様の守護のもと、方災からのがれるという訳なのです。
マコモの葉に
方違神社を参拝すると見かけるのが、素焼きのかわいい鶏の鈴。「
神社の土を練りこんだ素焼きの愛らしい鈴(2種類)
「方違え」の風習は陰陽道に基づいて平安時代以降に行われていたものです。当時は貴族など上流階級にしか知られることがなかった風習でしょう。そういった人々が方違神社に参拝することで、この風習が民衆にまで広まっていったのではないでしょうか。数千年ものあいだ同じ信仰のもとで、あまたの人々の不安を解消してきたのは、神仏や風習と疎遠になりつつあると言われる今日でも変わりません。それはやはり創建や由緒ともつながりのある「方角のない」地のもつ意味の大きさによるものだと思います。当社に参拝していただくことで、転機を平安に迎えていただくことができれば何よりです。
境内にある三國丘の石碑。「堺」の地名は摂津・河内・和泉の三国の境にあることに由来する
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