鎌倉時代から続く和泉の豪族小谷家。江戸時代の主屋、門長屋に民族・考古・歴史・美術工芸資料を数多く展示しています。
堺市南区豊田1602-1
TEL:072-296-8435
FAX:072-290-6455
URL:http://kotanijo.jp/
開館時間:10:00~16:00
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)、夏期(8月1日~31日)、冬期(12月25日頃~1月8日頃)
入館料:一般200円(大学生以上)、小・中・高校生100円
駐車場:10台
交通:泉北高速鉄道「泉ケ丘駅」下車、南海バス/鉢ヶ峯・畑行(南二番乗り場)「豊田南バス停」下車徒歩5分
※お車でお越しの場合は阪和自動車道「堺インター」を出て南に7分
小谷城郷土館は堺市南部の泉北丘陵に位置し、鎌倉時代から続く小谷家の邸宅の一部を一般公開しています。小谷家39代故小谷方明氏が昭和5年に、小谷家に伝わる文書典籍を中心に「和泉郷土文庫」を設立したのが始まり。その後、歴史・考古・民俗・美術工芸資料を加え、同46年に「小谷城郷土館」として発足し、平成3年には財団法人小谷城郷土館として、主屋・米蔵・門長屋などを展示室に改装して登録博物館になっています。
歴史・美術資料では、堺銃を中心とした鉄砲、甲冑・槍などの武家用具や、堺の陶磁器で重要な湊焼や谷焼、堺更紗を展示。民俗資料では、泉州の民具を多く所蔵し耕作用具、畑作・山林用具なども豊富で、絵馬や郷土玩具の信仰民具も多数あります。さらに考古資料では、和泉地方を中心とする南大阪の古瓦や、泉北地区の陶邑出土の須恵器・土師器など郷土に関する資料を展示しています。
所蔵品には、国内でも珍しい「茶づくり図屏風」、土佐派17世紀初頭の「源氏物語図屏風」などがあります。
敷地内には登録有形文化財に指定されている江戸時代の建築の主屋や土蔵のほか、廃藩置県時に伯太藩から拝領された門長屋が建ち並び、泉北丘陵を代表する歴史的景観のひとつとなっています。
小谷家の始祖、平氏頼晴が鎌倉初期に仁和寺の寺領である若松荘に、地頭として赴任したのが始まりとされています。小谷城は高さ約80mの独立した山で、小谷氏の居城として栂山城、豊田城とともに鼎城と呼ばれる、自然のままを城としてつかわれた市内最古の山城のひとつです。
南北朝時代は南朝方として、千早赤阪城と大雄寺(浜寺)を結ぶ「狼煙(のろし)」の中継地点、天野山金剛寺の行宮を守る城の任務を担いました。戦国時代は根来党であったため、天正3年(1575年)鼎城は落城したと言われています。
その後、大坂夏の陣で徳川方として参戦し功労をたて郷士となり、江戸時代は上神谷(にわだに)地域を治める伯太藩渡辺家に仕え庄屋も務めました。
近代にはいり泉北地域が大きく変貌する中、小谷家39代方明氏(1909~1991年)は地域の歴史について、家伝や古文書などで消え行く文化財・民俗資料の研究に注力し、昭和5年に「和泉郷土文庫」、同46年に小谷城郷土館を設立しました。
方明氏が他界した後、その遺志を継ぎ財団法人の許認可を受け同6年に登録博物館に、平成17年には主屋と門長屋・土蔵が登録有形文化財に指定されました。
※小谷城址は、現在阪和泉北第一病院の敷地になっていますので無断で立入らないで下さい。
大阪府下の典型的な山間農村の民具や江戸期の民具、耕作・畑作・山林用具などのほか、絵馬・郷土玩具などの信仰民具の民俗資料。和泉地方を中心とする南大阪の寺院などの古瓦や陶邑窯跡群の須恵器が数多く展示されています。
堺銃を中心とした鉄砲や甲冑などの武家用具。土佐派の絵師による17世紀初頭の「源氏物語図屏風」(堺市指定有形文化財)、珍しい狩野派による17世紀前期の「茶づくり図屏風」は重要な美術資料です。
中でも「源氏物語図屏風」(堺市博物館寄託)は、源氏物語の各場面を四季に合わせて六曲一双の屏風に配置した、大変華やかな土佐派の作品。土佐派は戦国時代の一時期、堺の上神谷に領地を持ち、17世紀初頭には光吉・光則の二代にわたり堺に居住するなど、堺とのつながりは大変深いものがあります。本図は土佐派の堺時代に制作時期が近く、数少ないこの時期の土佐派の大作として美術史的にも、堺と土佐派の関係を探る上でも大変重要な作品です。
堺の陶磁器として重要な湊焼や谷焼、今ではまぼろしの堺更紗、堺出身で明治から昭和初期におもちゃの研究で知られる川崎巨泉の版木・版画を所蔵しています。
源氏物語図屏風
茶づくり図屏風
川崎巨泉画
「おもちゃ百種」
主屋と呼ばれる大和棟造りの建物と、門を中心として東西に広がる門長屋が展示室となっています。
門長屋は現小谷城郷土館の正門で、明治維新の際、伯太藩渡辺家より拝領したもので、江戸時代中期伯太藩の陣屋の搦手門(からめてもん)を移築したものです。
門長屋の東側は「テーマ展示」と題し、農具・漁具・林業道具を展示、また旧米蔵があります。西側は「住まう」と題した展示室が3部屋。第1室は昔の台所用具・灯火具・暖房具、第2・3室は考古資料を展示しています。
歴史・美術工芸資料を展示している主屋
民俗資料を展示している門長屋(東側)
考古資料を展示している門長屋(西側)
主屋は大和棟造りの建物で、江戸時代1700年代中頃の建造物。屋根は茅葺きでしたが昭和40年に銅板に葺き替えました。
1800年初頭に増築された出玄関は、江戸時代この地を治めていた和泉伯太藩主渡辺公がご来駕の時のみ使用されました。(写真右側)
旧米蔵は、30cmの土のブロックを積上げ、壁厚60cmに仕上げ、中は防犯・防火のため漆喰で固めています。蔵には米90俵が入り、蔵内は四季を通して温度変化や湿度差が少ないように工夫されています。
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