石銭場跡
この附近は宝永元年(1704年)の大和川の付替え以降、河口に堆積した土砂による附洲(つきす)を利用した新田開発が盛んにおこなわれた地域です。
かつては海に近かったこの場所に祀られている「波切不動尊」は、唐から帰る弘法大師を守ったと伝えられ、海難除け、航海安全はもとより、「波切」と「難切り」を掛けて、地域の篤い信仰を集めています。
傍らに立つ石碑は、寛政3年(1791年)8月20日の「海嘯(かいしょう)」(潮津波)によって命を落とした人々の50回忌にあたる、天保11年(1840年)に建てられた供養碑です。供養にあたっては、南嶋の光得法師が願主となり、来迎寺の蘭嵓上人が導師をつとめたことなどが刻まれています。「堺市史」によれば、当時、中浜筋一帯まで潮が押し寄せ、壊れた船や流木が町中に流れ込むなどして、多くの人々が被災したと伝えられています。
海に接して発展してきた堺の町では、海から多くの幸を得るとともに、このような苦難の歴史も忘れられることなく、語り継がれています。
所在地 |
堺市堺区神南辺町4丁 |
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アクセス |
南海バス「三宝公園前」下車 |
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