法道寺
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7世紀中ごろ法道仙人が開いたとされる高野山真言宗の寺院。鎌倉後期の食堂、南北朝中期の多宝塔は十六羅漢像とともに重要文化財、楼門の金剛力士像、高麗仏画の阿弥陀三尊図は市指定有形文化財です。寺伝によれば7...
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法道寺
7世紀中ごろ法道仙人が開いたとされる高野山真言宗の寺院。鎌倉後期の食堂、南北朝中期の多宝塔は十六羅漢像とともに重要文化財、楼門の金剛力士像、高麗仏画の阿弥陀三尊図は市指定有形文化財です。寺伝によれば7...
吉川俵右衛門顕彰碑
吉川俵右衛門は宝永元年(1704年)の大和川の付替え以来、土砂がたまり船の出入りに支障をきたしていた堺港の修築に功績のあった人物です。俵右衛門は江戸浅草の商人でしたが、商用で訪れた港の様子に一念発起し...
覚応寺
正中山覚応寺といい覚如上人に帰依「覚応」と改名した伊予の豪族河野通元が建てた覚応坊が起源。住職河野鉄南は与謝野晶子と鉄幹をひきあわせた人で、境内に晶子の歌碑があり命日に白桜忌が開催されます。正中山(し...
堺市茶室 伸庵
【Click here for details in English.】堺市茶室「伸庵」では、どなた様も気軽に抹茶を楽しめる呈茶サービスを行っております。呈茶は立礼席(椅子席)となっておりますので、普...
西高野街道
五つの旧街道の一つ。平安時代の天皇・貴族中心の高野山詣から、その後高野聖の納骨や庶民の参詣の道となりました。江戸時代は町人等の米・酒・綿などの通商幹線、堺と高野山の物資輸送の主要道でした。五つの旧街道...
旧浄土寺九重塔
元は千早赤阪村の浄土寺にあり現在は堺市茶室庭園内にある石塔。鎌倉時代のものとされ正面に阿弥陀仏、他の三面に梵字が刻まれ均整のとれた美しさで重要文化財に指定されています。元は大阪府南河内郡千早赤阪村小吹...
放鳥銃定限記碑
大正3年に南海線七道駅近くの運河掘削工事現場から発見された石碑で、「放鳥銃定限記」と題する377文字の漢文が刻まれています。石碑は江戸時代初期の鉄砲師範であった小濱民部丞嘉隆(こはまみんぶのじょうよし...
堺旧港
中世に海外貿易港として発展した堺港は大和川の付け替えで衰退、江戸商人吉川俵右衛門などが築港・修理したのが堺旧港の原型。周辺は旧堺燈台、龍女神像など親水プロムナードとして憩いの場となっています。中世に、...
海会寺
1332年創建の臨済宗東福寺派寺院、夏の陣で焼失後再建された本堂・庫裏・門廊は国の重要文化財。本堂と庫裏が一棟の建物は江戸初期の寺院建築では珍しく大変貴重です。元弘2年(1332年)に創建された臨済宗...
近江岸家住宅
ヴォーリズが設計したスパニッシュスタイルの住宅。昭和初期の郊外都市型住宅浜寺一帯は、大正~昭和初期に開発された有数の海浜別荘地のひとつでした。本宅は木造2階建ての住宅で、昭和9年にアメリカ人のキリスト...
薫主堂
天然香料にこだわった、やさしい香りの線香・御香南蛮貿易の拠点だった堺は16世紀末頃に原料の香料が持ち込まれ、日本で初めてお線香が作られた町で、江戸時代には線香の産地として知られるようになりました。創業...
けやき通り
昭和40年に魅力ある沿道にと、大阪中央環状線から大和高田線の約1kmに約170本のケヤキが植えられ、「けやき通りまちづくりの会」が人にやさしい道づくり、花づくり、地域交流などを実施しています。昭和40...
大道筋
旧紀州街道にあたる南北に走る幹線道路。幅員50mの中心をローカル色豊かに路面電車(チンチン電車)が走り抜け、付近には与謝野晶子生家跡、千利休屋敷跡、ザビエル公園など名所が集中しています。旧紀州街道にあ...
片桐棲龍堂
市中の山居の薬舗片桐棲龍堂は豊臣秀吉に土地を賜り、桃山時代からこの地に館を構え、代々当主が寛龍の名を継承し、棲龍堂には龍の名前のものが住む館という意味と、風水学での龍穴の上に建てられた館の2つの意味が...
宿院頓宮
住吉大社の御旅所としての神社で文化13年(1816年)が始まり。後に大鳥大社の摂社も遷座、2社の神様をお祀りしています。毎年7月31日に大鳥大社、8月1日に住吉大社からの御渡りと、飯匙堀での荒和大祓神...
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