石銭場跡

○石銭湯跡
石銭場は、江戸時代に、船舶および諸問屋の取扱い貨物の石数に応じて入津料を徴収した所で、石銭は港の浚渫や石堤の築造費に使われていました。始まりは延宝8年(1680)といわれ、場所は幾度も移りましたが、北湾戸完成後はこの地にありました。記録によって廻船、川行渡船、沖船との連絡をした茶船等堺港に出入りした船舶や、諸問屋(俵物・薪炭・塩・干鰯・材木・唐物・青物など)の動向を偲ぶことができます。

○水天宮
水天宮は、水難よけ、海上安全、航海安全の信仰を集めていました。安政6年(1859)この地に創立され、当時は本殿・拝殿を有し、井戸も船舶用の給水井として船乗りから珍重されていました。安政の大地震や外国船の来航に備えて台場が堺港の北と南に築かれた頃のことです。明治28年(1895)以降は井戸と小丘と榎の古木をとどめるのみとなりましたが、平成14年(2002)11月、港湾の安全と繁栄を祈って再建されました。

所在地

堺市堺区戎島町5-34

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