蘇鉄山
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幕末の黒船来航に備えて築かれたお台場、明治12年大浜公園として開放され築山として整備されました。昭和14年東南の御蔭山から移された一等三角点が設置されている標高6.97mの日本一低い山。蘇鉄山は大阪湾...
指定なし
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該当するスポットが80件あります。
蘇鉄山
幕末の黒船来航に備えて築かれたお台場、明治12年大浜公園として開放され築山として整備されました。昭和14年東南の御蔭山から移された一等三角点が設置されている標高6.97mの日本一低い山。蘇鉄山は大阪湾...
堺市茶室 黄梅庵
橿原市今井町の豊田家にあった江戸中期の茶室で、昭和に移築された国の登録有形文化財。外観は銅板葺き屋根を重ね合わせた変化に富む構成で、内部は八畳敷広間と小間と勝手水屋等からなっています。大仙公園内の堺市...
諏訪ノ森駅駅舎
浜寺の海岸の様子が描かれたステンドグラス、小さな待ち合い空間など大正ロマンが感じられる駅舎浜寺公園駅から1駅北寄りの駅で、西駅舎は木造平屋建ての48㎡程の小規模な駅舎です。明治の開業当初は八角形の建物...
西高野街道
五つの旧街道の一つ。平安時代の天皇・貴族中心の高野山詣から、その後高野聖の納骨や庶民の参詣の道となりました。江戸時代は町人等の米・酒・綿などの通商幹線、堺と高野山の物資輸送の主要道でした。五つの旧街道...
与謝野晶子生家跡
堺に生まれ明治・大正・昭和を短歌とともに生きた「情熱の歌人」与謝野晶子。「みだれ髪」はその代表作、甲斐町の生家跡には「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑があります。与謝野晶子は菓...
南宗寺
【Click here for details in English.】1557年三好長慶が父の菩提を弔うため大林宗套を開山に建立。夏の陣で焼失後沢庵宗彭らが再建、国の名勝枯山水の庭、重要文化財仏殿・...
踞尾八幡神社
神功皇后が三韓出征より凱旋の際立ち寄ったとされ、850年社殿を建て誉田別名を奉祀したのが起源。源義経が八嶋に渡る途中、暴風にあい踞尾に避難し馬鞍を奉納して武運長久を祈願した時、休息に腰をかけたといわれ...
住吉大社
いのちの根源 海の神住吉大社は、全国2300社ある住吉神社の総本社で、摂津国一の宮として崇敬をあつめ年のはじめには200万人以上の参詣者が訪れます。ご祭神は、イザナギノミコトが禊祓を行われた際に海中よ...
吉川俵右衛門顕彰碑
吉川俵右衛門は宝永元年(1704年)の大和川の付替え以来、土砂がたまり船の出入りに支障をきたしていた堺港の修築に功績のあった人物です。俵右衛門は江戸浅草の商人でしたが、商用で訪れた港の様子に一念発起し...
大安寺
室町初期に徳秀士蔭が開祖した臨済宗東福寺派寺院。納屋助左衛門等の居宅を移したとされる書院造りの部屋もある総檜造りの本堂と、17世紀前半の狩野派の作といわれる内部の障壁画は重要文化財です。室町時代の初期...
片桐棲龍堂
市中の山居の薬舗片桐棲龍堂は豊臣秀吉に土地を賜り、桃山時代からこの地に館を構え、代々当主が寛龍の名を継承し、棲龍堂には龍の名前のものが住む館という意味と、風水学での龍穴の上に建てられた館の2つの意味が...
日部神社
龍が潜む杜本殿は建築様式や技法、本殿前にあった石燈籠に正平24年(1369年)の製作年代が刻まれていることなどから、その頃に建立されたと考えられます。柱の間を飾る蛙の足のような形をした蟇股(かえるまた...
覚応寺
正中山覚応寺といい覚如上人に帰依「覚応」と改名した伊予の豪族河野通元が建てた覚応坊が起源。住職河野鉄南は与謝野晶子と鉄幹をひきあわせた人で、境内に晶子の歌碑があり命日に白桜忌が開催されます。正中山(し...
鉄炮鍛冶屋敷(堺市立町家歴史館 井上関右衛門家住宅)
【Click here for details in English.】 特集記事『祝・開館!「鉄炮鍛冶屋敷」見学レポート』を公開しました(2024年3月1日)一説によると種子島に伝わった鉄炮の製法を...
宿院頓宮
住吉大社の御旅所としての神社で文化13年(1816年)が始まり。後に大鳥大社の摂社も遷座、2社の神様をお祀りしています。毎年7月31日に大鳥大社、8月1日に住吉大社からの御渡りと、飯匙堀での荒和大祓神...
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