大安寺山古墳
- 観光スポット
- 古墳
仁徳天皇陵古墳の後円部外側の第2堤上から三重濠に張り出す径62m、高さ9.7mの円墳。古墳名は古くは大安寺の所有地だったことに由来し、別名「寺山」と呼ばれていたようです。仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の後...
指定なし
指定なし
指定なし
指定なし
該当するスポットが162件あります。
大安寺山古墳
仁徳天皇陵古墳の後円部外側の第2堤上から三重濠に張り出す径62m、高さ9.7mの円墳。古墳名は古くは大安寺の所有地だったことに由来し、別名「寺山」と呼ばれていたようです。仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)の後...
愛染院
本堂は江戸時代初期の近世寺院建造物として大変貴重です。観音菩薩立像は市内北部、長尾街道周辺に残る平安時代の仏像彫刻としてほぼ唯一の事例で本堂とともに市指定の有形文化財。本堂は建築年代が明らかな江戸時代...
旗塚古墳
大仙公園内にある全長約57.9m、後円部径約41.5mの前方部が短い帆立貝形古墳と呼ばれる前方後円墳。2段築成で前方部を西に向け盾形の濠がめぐっています。百舌鳥夕雲町の大仙公園内にあり墳丘は全長約57...
石銭場跡
○石銭湯跡石銭場は、江戸時代に、船舶および諸問屋の取扱い貨物の石数に応じて入津料を徴収した所で、石銭は港の浚渫や石堤の築造費に使われていました。始まりは延宝8年(1680)といわれ、場所は幾度も移りま...
西高野街道
五つの旧街道の一つ。平安時代の天皇・貴族中心の高野山詣から、その後高野聖の納骨や庶民の参詣の道となりました。江戸時代は町人等の米・酒・綿などの通商幹線、堺と高野山の物資輸送の主要道でした。五つの旧街道...
海とのふれあい広場
大阪湾に面した広大な敷地からは、大阪のベイエリアはもちろん、晴れた日には遠く明石海峡大橋まで望め、バーベキュー広場、ドッグラン、海釣りテラスなどの施設もある、市民のみなさんの自然と憩いのスポットです。...
波切不動尊と水難供養碑
この附近は宝永元年(1704年)の大和川の付替え以降、河口に堆積した土砂による附洲(つきす)を利用した新田開発が盛んにおこなわれた地域です。かつては海に近かったこの場所に祀られている「波切不動尊」は、...
堺市立中央図書館
情報科学・法律・歴史・地理・政治・経済・文学関係の蔵書約57万5千冊。戦前からの資料を蓄積した書庫、充実した郷土資料を有する一般閲覧室などの他、正面には与謝野晶子や河井醉名の歌碑があります。正面に与謝...
天王古墳
反正天皇陵古墳東側にある円墳のように見える1辺11m程の方墳。同古墳の陪塚で濠がめぐらされていたと考えられています。反正天皇陵古墳(田出井山古墳)の東側にあり、その陪塚と考えられています。円墳のように...
吉川俵右衛門顕彰碑
吉川俵右衛門は宝永元年(1704年)の大和川の付替え以来、土砂がたまり船の出入りに支障をきたしていた堺港の修築に功績のあった人物です。俵右衛門は江戸浅草の商人でしたが、商用で訪れた港の様子に一念発起し...
菰山塚古墳
現在は円墳状の墳丘が残るのみで旧状をとどめませんが、元は墳丘全長33m、高さ4mの前方部が南向きの小規模な帆立貝形の前方後円墳でした。現在は住宅に取り囲まれた円墳状の墳丘が残るのみで旧状をとどめません...
湯の山古墳
百舌鳥陵南町の丘陵端部にあった考えられる直径20mの円墳。主体部は長さ2.2m以上、幅1.65mの粘土槨で、収められていたとされる組合式木棺の中から銅鏡と鉄剣が出土しています。百舌鳥陵南町の丘陵端部に...
あなたは旧式のブラウザをご利用中です
このウェブサイトを快適に閲覧するにはブラウザをアップグレードしてください。