踞尾八幡神社
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神功皇后が三韓出征より凱旋の際立ち寄ったとされ、850年社殿を建て誉田別名を奉祀したのが起源。源義経が八嶋に渡る途中、暴風にあい踞尾に避難し馬鞍を奉納して武運長久を祈願した時、休息に腰をかけたといわれ...
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踞尾八幡神社
神功皇后が三韓出征より凱旋の際立ち寄ったとされ、850年社殿を建て誉田別名を奉祀したのが起源。源義経が八嶋に渡る途中、暴風にあい踞尾に避難し馬鞍を奉納して武運長久を祈願した時、休息に腰をかけたといわれ...
蘇鉄山
幕末の黒船来航に備えて築かれたお台場、明治12年大浜公園として開放され築山として整備されました。昭和14年東南の御蔭山から移された一等三角点が設置されている標高6.97mの日本一低い山。蘇鉄山は大阪湾...
紀州街道
五つの旧街道の一つ。江戸時代に紀州と泉州の交易ルートとして堺では重要な役割をもち、高麗橋を起点に堺・大道筋から浜寺石津、浜寺公園を経て和歌山に至る経路は参勤交代の大名や商人でにぎわいました。五つの旧街...
祥雲寺
1625年に沢庵和尚が創建、大徳寺方丈庭園と類似の平庭式枯山水庭園は府の指定名勝。土塀寄りの石組と手前の広い白砂空間は江戸初期の枯山水に共通するものです。沢庵和尚像や釈迦二声聞像は重要文化財。寛永2年...
板状五輪塔婆
乳岡古墳墳丘上にある花崗岩の側面を五輪塔形に加工された板状五輪塔。市内にある五輪塔では最も古いとされ、板状という珍しい形をしているのが特徴で府指定の有形文化財です。立体的な普通の五輪塔とは異なり、花崗...
堺市立町家歴史館 山口家住宅
国の重要⽂化財で、伝統的な堺の町家暮らしを感じることができる⼭⼝家住宅の主屋は、慶⻑20年(1615年)の⼤坂の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられました。国内でも現存する数少ない江戸時代初期...
覚応寺
正中山覚応寺といい覚如上人に帰依「覚応」と改名した伊予の豪族河野通元が建てた覚応坊が起源。住職河野鉄南は与謝野晶子と鉄幹をひきあわせた人で、境内に晶子の歌碑があり命日に白桜忌が開催されます。正中山(し...
家原寺
奈良時代の高僧・行基の生誕地で「知恵の文殊さん」で知られ、入学試験シーズンは多数の参拝客が訪れ本堂の壁・柱が「合格・昇運・祈願」と書かれたハンカチで埋まります。1月の無病息災祈願「大とんど」は有名。奈...
金岡神社
絵所長者という役所で最も重きをなした平安前期の宮廷画家巨勢金岡を祭る神社。氏子11町内の大太鼓によるお盆の行事は夏の風物詩です。絵所長者という絵の仕事をする役所で、最も重きをなした巨勢金岡を祭っていま...
野々宮神社
創建時期は不明、永正年間の兵火で消失後現在地に移転。境内には「寛文三年」の銘のある石灯籠一対など注目すべき石造遺物があり、「常陵郷の森」は市の保存樹木に指定されています。創建時期はわかりませんが、永正...
竹内街道
五つの旧街道の一つ。大小路から榎元町、長曽根、野遠、竹内峠を越えて飛鳥に至る経路は政治・経済・外交の重要ルート、街道沿いには名所旧跡が点在し歴史の古道、古代人の夢を追うロマンの道といえます。五つの旧街...
本願寺堺別院
【Click here for details in English.】市内最大の木造建築で「北の御坊」とも呼ばれ、現在の本堂は1825年の再建。明治4年の廃藩置県後10年間堺県庁として使用後、浄土真...
月洲神社
1738年の創建。境内には市保存樹木のクスノキと市内最大のイスノキがあり、8月の夏祭には神楽獅子巡行が行われます。元文二年(1738年)の創建。境内には堺市保存樹木のクスノキと、堺市内で最も大きいイス...
板状塔婆
十輪院内にある阿弥陀をあらわす梵字の陰刻、地蔵菩薩、為阿弥陀佛などの文字が刻まれた板碑。南北朝動乱期に流行した阿弥陀仏と地蔵菩薩を同体とする信仰の資料として貴重で府指定の有形文化財です。板状塔婆は板碑...
浜寺公園駅旧駅舎
ハーフティンバー様式の意匠を持つ明治40年(1907)建築の木造駅舎。 浜寺の海岸は古くから白砂青松の地として著名で、明治6年(1873年)には浜寺公園が造られ、明治30年(1897年)には鉄道の駅が...
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