吉川俵右衛門顕彰碑
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吉川俵右衛門は宝永元年(1704年)の大和川の付替え以来、土砂がたまり船の出入りに支障をきたしていた堺港の修築に功績のあった人物です。俵右衛門は江戸浅草の商人でしたが、商用で訪れた港の様子に一念発起し...
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吉川俵右衛門顕彰碑
吉川俵右衛門は宝永元年(1704年)の大和川の付替え以来、土砂がたまり船の出入りに支障をきたしていた堺港の修築に功績のあった人物です。俵右衛門は江戸浅草の商人でしたが、商用で訪れた港の様子に一念発起し...
西高野街道
五つの旧街道の一つ。平安時代の天皇・貴族中心の高野山詣から、その後高野聖の納骨や庶民の参詣の道となりました。江戸時代は町人等の米・酒・綿などの通商幹線、堺と高野山の物資輸送の主要道でした。五つの旧街道...
石津太神社
17世紀中頃に建てられたという本殿2殿、馬道が二つある拝殿、市内最古のひとつ一の鳥居、二の鳥居は市指定有形文化財。都市部の緑豊かな歴史的空間で、12月の火渡りの神事「やっさいほっさい」が有名です。北本...
旧堺燈台
【Click here for details in English.】堺のシンボル旧堺燈台。日本最古の木造洋式灯台として国指定史跡になっています。室町時代から安⼟桃⼭時代にかけて、天然の良港であった...
祥雲寺
1625年に沢庵和尚が創建、大徳寺方丈庭園と類似の平庭式枯山水庭園は府の指定名勝。土塀寄りの石組と手前の広い白砂空間は江戸初期の枯山水に共通するものです。沢庵和尚像や釈迦二声聞像は重要文化財。寛永2年...
諏訪ノ森駅駅舎
浜寺の海岸の様子が描かれたステンドグラス、小さな待ち合い空間など大正ロマンが感じられる駅舎浜寺公園駅から1駅北寄りの駅で、西駅舎は木造平屋建ての48㎡程の小規模な駅舎です。明治の開業当初は八角形の建物...
与謝野晶子生家跡
堺に生まれ明治・大正・昭和を短歌とともに生きた「情熱の歌人」与謝野晶子。「みだれ髪」はその代表作、甲斐町の生家跡には「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑があります。与謝野晶子は菓...
内田家住宅
内田家住宅は戦前の街並みが残る北旅籠町界隈にある明治10年の建物。戦前までは造り醤油の商家で、大きな梁が通る吹き抜けの台所の天井、黒の漆塗りの大黒柱は贅沢なものです。2階ギャラリーには堺の町家の風景の...
髙林家住宅
江戸時代の近畿地方の大規模な圧屋屋敷の構えを残す住宅御廟山古墳の南側にあり、主屋と表門・米蔵・西蔵及び土地が重要文化財に指定されています。白漆喰の土塀に囲まれた中には、主屋・土蔵・不動堂・稲荷社があり...
浜寺公園駅旧駅舎
ハーフティンバー様式の意匠を持つ明治40年(1907)建築の木造駅舎。 浜寺の海岸は古くから白砂青松の地として著名で、明治6年(1873年)には浜寺公園が造られ、明治30年(1897年)には鉄道の駅が...
石銭場跡
○石銭湯跡石銭場は、江戸時代に、船舶および諸問屋の取扱い貨物の石数に応じて入津料を徴収した所で、石銭は港の浚渫や石堤の築造費に使われていました。始まりは延宝8年(1680)といわれ、場所は幾度も移りま...
高蔵寺73号窯跡・74号窯跡
古墳時代の須恵器の窯跡です。窯が築かれた泉北丘陵には、古墳時代から平安時代にかけて須恵器を焼いた窯が850基以上あり、陶邑窯跡群(すえむらかまあとぐん)と呼ばれる日本最大の須恵器の生産遺跡として知られ...
阪之上家住宅
浜寺ホテルの設計の一部を活用して建築されたといわれる洋館付きの住宅。大正7年頃から浜寺土地株式会社が分譲した海浜別荘地に所在する住宅です。この洋館は大正10年頃に計画されながら、実現されなかった浜寺ホ...
日部神社
龍が潜む杜本殿は建築様式や技法、本殿前にあった石燈籠に正平24年(1369年)の製作年代が刻まれていることなどから、その頃に建立されたと考えられます。柱の間を飾る蛙の足のような形をした蟇股(かえるまた...
フェニックス通り
「日本の道100選」に選ばれた道。 戦後復興のシンボルとして大阪中央環状線の東西約2kmにわたってフェニックスが植えられました。「日本の道100選」に選ばれた道です。 戦後復興のシンボルとして、現在の...
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